2018年10月10日
社会・生活
研究員
小野 愛
2020年東京五輪・パラリンピックの開催まであと2年を切った。半世紀前の東京大会(1964年)と同じく、競技会場の設営や新駅・道路などのインフラ整備が急ピッチで進められ、既に一定の経済効果を生み出している。大会の開催期間中は206に上る国・地域から選手や観客、スタッフなどが集結し、その数は延べ1000万人を超えるとみられる。インバウンド需要の拡大に伴い、さらなる日本経済の活性化も期待される。
その一方で、開催期間中は街が人や物資であふれかえる。主な競技会場は、東京都心部から郊外に広がる「ヘリテッジゾーン」と臨海部の「東京ベイゾーン」に設営される。このエリアは日本経済の心臓部であり、通常の機能を維持できるのか、疑問符も付けられる。
本コラムでは企業活動の視点から、東京大会におけるリスクとその対策を3回に分けてレポートする。(1)通勤障害(2)物流障害(3)サイバー攻撃を切り口とし、ロンドンやリオデジャネイロで開催された過去の五輪・パラリンピックでの経験を紹介する。
東京五輪・パラリンピックの概要
主な競技会場が集中するゾーン
出所:東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
首都圏の鉄道では通常、1日約800万人が通勤・通学に利用する。朝のラッシュ時間帯に競技会場へと向かう大勢の観客や関係者が加わると、駅では何が起こるのか―。観客数は多い日で70万人に上ると予想されるため、会場周辺の駅や主要ターミナルでは、大混雑や電車の遅延が発生するだろう。実際、中央大学理工学部の田口東教授のシミュレーションによると、大会期間中の午前6~9時の都内では乗車率200%以上の電車が50%も増加する。新宿駅や東京駅といったターミナルのほか、国会議事堂に近い永田町駅などでも構内は普段の1.8~3倍の乗客であふれ、電車の立ち往生などが懸念されるという。
2012年ロンドン大会当時のロンドン市内では、公共交通機関の利用者が通常の2500万人から、大会期間中は820万人も増加すると予測されていた。このため開催前は「市内の交通網は乗客の急増に耐えられない」とも懸念されていたが、実際には期間中に混乱はほとんど見られなかったという。なぜなら、地下鉄・バスを運営するロンドン交通局などが緻密な輸送計画を立案・遂行したからだ。例えば、混雑する時間・場所などを予想し、その的確な情報提供によって市民に行動変化を促したのである。
ロンドン交通局は大会前から市民に対し、混雑回避のための啓蒙活動を強力に展開していた。そのポイントは、移動について①回数を減らす②時間を変える③ルートを変える④手段を変える―の4点である。その結果、大会期間中は、市民の4分の3以上が何らかの方法で混雑を回避する行動をとった。
開催翌年に発行されたロンドン交通局のレポートによると、大会期間中の平日は平均35%の通勤・通学者が混雑回避を視野に入れて移動した。通勤・通学者の22%が通常より早く家を出る一方で、6%は遅くした。帰宅時間では15%が普段より早く、7%は遅くした。徒歩や自転車での移動も増えたという。また、混雑を回避するために行動を変えた人のうち、10人に1人は大会終了後もそれを習慣にしている。
また、多くの市民がオフィス以外の自宅などで働くテレワークや、出退勤時刻が柔軟なフレックスタイム、有給休暇などの制度を活用した。実は、大会前に市当局や企業が「働き方改革」を強力に推奨していたのだ。例えば、大会が始まるまでに、ロンドン市内の8割以上の企業がテレワーク制度を導入した。ロンドン交通局が行った事後アンケートによると、大会の影響を受けるエリアに所在する企業の約半数が、働き方や通勤ルートの変更を社員に奨励したり、関連情報を提供したりしたという。
日本政府もロンドンの成功にならい、テレワークや時差出勤などの働き方改革を奨励している。2017年からは、東京大会開会式に当たる7月24日を「テレワーク・デイ」と名付け、混雑時間帯の通勤回避を呼び掛けている。初年度は約950団体から6.3万人が参加し、当日の豊洲駅では午前8~10時の利用者が約2割近く減るなどの効果をもたらした。
2020年の大会期間中の都心では、交通機関のダイヤが乱れて時間通りに出勤できなかったり、打ち合せに間に合わなかったりといった支障が業務にきたす可能性は高い。それを回避するためには、今から各企業は社員が利用しやすいテレワーク制度などを整え、その運営面での課題について洗い出し、必要に応じて改善措置を講じておくべきだろう。
前述したように、ロンドンでは大会を契機にテレワークが普及した。東京大会を契機に、日本も持続可能な働きやすい環境を創り、少子高齢化に伴う深刻な労働力不足に立ち向かいたい。総務省が2016年に行った調査(有効回収数=2032社)では、テレワークを実施している企業のうち、86.2%が導入目的に対して「効果があった」と回答。さらに、テレワークを実施している企業は実施していない企業に比べ、労働生産性=(営業利益+人件費+減価償却費)÷従業員数が約1.6倍高くなるという結果になった。ただし、86.7%の企業はテレワークを導入していないと回答しており、テレワーク制度を普及させることで生産性が向上する余地があると考えられる。
54年前、先人は東京五輪で焼け野原からの奇跡の復興を世界にPRすると同時に、それを高度経済成長の足掛かりとした。2年後の東京大会では、大会の成功とともに働き方改革においても「先進国」の仲間入りを目指すべきではないか。その結果として、企業の生産性が高まり、日本経済が再び浮揚する好機になるよう期待したい。
建設中の新国立競技場(東京大会のメイン会場)
(写真)筆者
参考資料:
中小企業の課題解決にも テレワーク・デイズ展開する総務省の思い、株式会社ザイマックス不動産総合研究所、2018年7月17日
東京2020オリンピック・パラリンピックに向けて、公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、2018年3月
東京オリンピック観戦客輸送の余裕を首都圏電車ネットワークは持っているか、田口東、公益社団法人日本オペレーションズ・リサーチ学会、2017年1月
東京五輪の混乱回避へ、通勤地獄に新たな処方箋―テレワークで、Bloomberg、2017年7月24日
平成28年通信利用動向調査の結果、総務省、2017年6月8日
「2020年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会の準備及び運営の推進に関する政府の取組」に係る工程表、内閣官房東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会推進本部事務局、2018年8月
Olympic Legacy Monitoring: Personal Travel Behaviour during the Games. Transport for London. June 2013.
小野 愛